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ここ最近出会った方々が、
あ〜、これ私やん。
という部分がありました汗。
・自分の思う通りにしたい
・完璧主義
・私がやらなくて誰がやる
・「私」がやりました
・文句を言われたくない
・認めて欲しい( =認めてもらえないと恨む)
などなど。
「私」という1人の人間に対して、
何人もの人が私の一部分を持って
現れてくるという感じ笑。
何の試練かと思いました笑。
↑富士山
以前なら、
む〜、と思って
「手放したのに、なんで、
この人たちが目の前に現れるの!?」
プンスカプンスカ。どういう事!?。
神様は、宇宙は
一体私に何を伝えたいの!?
(何のご神託!?)
と怒っていました。
(一生懸命やっているのに。
て思うから怒るわけですな)
今回は、
あ〜、以前はそういうところ合ったわぁぁ。
と気にならず、どんな言葉を掛けたら
その方の気持ちが穏やかになるんだろう。
とか、
あ〜、こんな風に思うから、
こんな行動になるんだなあ。
と感じながら過ごしていました。
そして、客観的に
見られたからだと思うのですが、
その方達を見ていて、
当時の私は
「必死」に「一生懸命」に生きていた。
という事。
「自分」を守る為に、
本当に必死だったんだな。と
しみじみ思いました。
自分を守る為に、
鎧のように色々なものを
まとって、防御しているので、
そこには、人との心の交流はないです。
どれだけ頑張っても
虚しさが残ります。
今は、自分の中の不完全さ。
スカポンタンなところを
開き直りではなく、
「これが自分」と
受けとめられるようになりました。
人と同じように出来ないところも、
数多くあります。
だから、人に助けてもらえます。
自分の出来ないところを
認められたら、
自然と周りの人が
助けてくださるようになりました。
もちろん、出来ないところ、
ミスしたところは
情けないし、
いい歳して何やってんだ。
となります汗。
あの時、こうしておけば。
の反省は、「たられば」で
悔やむばかりで、前に進めないのですが
(以前はそうでした)
今は、ミスが発生するときの予兆。
自分の気持ちがこういう状態だったとき、
こういう状況になりやすい。
というのが少しずつわかってきたので、
気付いたら、
「あっ、今危険」と思って、
軌道修正をしています。
(ようやく^^;)
今その時の最善をする。
気付いたら、その時に修正したらいい。
最初から完璧に作らなくていい。
これが私の目標になりました^ ^。
1/8のSNS勉強会、告知前に
早々に満席になりました。
ありがとうございました。
ご希望の方がおられましたら、
ご連絡を頂戴できたらと思います。
それでは、
今日も穏やかな一日でありますように。
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