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こちらの記事で、
「第三者の方からお話をお聞きすると良いですよ」
と書いたところ、
・責められているような気分になるから嫌です。
・以前別の方に叱られて、
胃がキューとなったので、
人にアトバイスはもらいたくないです。
・自分の存在を全否定
されたような気分になります。
とおっしゃる方がおられました汗。
以前こちらの記事でも書かせていただいたのですが、
耳が痛くなることを言われた時、
「責められた」
「叱られた」と感じ
「自分はなんてダメな人間なんだろう」
と落ち込んだり、
「なんでこんなこと言われないといけないの」
と憤慨したり(=今の私を認めてよ)
様々な感情が出ると思います。
「私に嫉妬してこんな事言うんだ」
と解釈したり
(ご自身の事を振り返らずに
「これも浄化」で片付けてしまう汗)
その中で、
言っていただいた言葉や、
目の前の現実に対して、
自分を責めていたら、
自分をいじめているのと
同じことになります。
「私は正しい」
「私はちゃんとやっている」
があると、素直に聞けず、
責任転嫁になります涙。
寺田も人からのご意見や言葉を
「責められている」
「叱られている」
と捉える事が多かったです。
その時は、
「こんなに一生懸命頑張っているのに、
認めてくれない」
がとても強かったように感じます。
時には、先生が風変わりで、
理不尽なことを言われる場合も
あるかもしれません。
寺田も仕事で言われたことが
何回かあります。
その時に
「理不尽なことを言われた。びえん」ではなく笑、
理不尽な言葉も
「その時の自分」
に必要な言葉として、
受けとめて、考えます。
寺田の場合は、
「この人が幸せになるお手伝いをしよう」
ではなく、
「認めて欲しい」゛「味方になって欲しい」
「必要とされたら、ずっと契約が続く」
と言ったことを心の奥底で思っていました。
このような気持ちを持っていると、
理不尽な言葉も言われると思います汗。
また、
この人は叱られないだろう、
この人は叱るだろう。
と無意識に人を判別し、
無意識に人への態度も
変えていたと思います涙。
周りからはわからない態度であっても、
雫が溜まれば大河になるように、
何かの折に表面化します。
↑鎌倉は空が高く感じます
そこで、反省して、
気づいて、
「自分はどうしたいか」
「どうしたらより良く進められるか」
を見ていく。
そうすることで、
まわりも変わりますし
自分自身も変化していきます。
耳の痛い言葉を
「責められた」
「存在を否定された」
ではなくて、
「今の自分に必要な言葉」
として、現実を見て
行っていただけたらと思います^ ^。
それでは、みなさま
良い一日をお過ごしくださいませ。
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